WINE Project とマン・マシーン・インタフェース


大橋克洋(大橋産科婦人科)

「賢くて手際のよい医療秘書が欲しい」ということで、WISE & NEAT 略して WINE というコード・ネームで、1985年頃から「電子カルテ」の開発を進めてきた。このシステムのベースとなった OPENSTEP は、その先進性とオブジェクト指向による卓越した開発環境がようやく認められ、Apple 社の次期 OS として採用された。WINE はまさに OPENSTEP の前身である NEXTSTEP なくしては存在しえなかったと断言できるシステムである。 NEXTSTEP は Mac の血を引くユーザ・インタフェースと UNIX の血を引くマルチプロセス・強力なネットワーク機能に、本格的オブジェクト指向開発環境を搭載して進化してきた。今回は、与えられたテーマ「ユーザ・インタフェース」に焦点をしぼって述べる。マン・マシーン・インタフェースの善し悪しは、「電子カルテが本当に実用になるかどうか」の分かれ目となる。「良いインタフェース」の定義は「快適に使え、仕事の効率があがるもの」と言って良い、「快適にストレスなし」である。


Fig.1 WINE 全景

・人間は一度に多くの機能を覚えられない

誰でもわずかの学習で簡単に使えることを目標に開発した。まず10程度の機能を覚え、段階的にレパートリーを広げて行けばよい。ワープロを扱える人間であれば、新たに10位のことを覚えればとりあえず使える。ある程度慣れたら、その上の機能を覚えることにより更に快適に使えるようになる。初心者は初心者なりに、熟練者は熟練者なりに使えるよう、ひとつの処理にもいろいろなアプローチが用意されている。マウスでボタンをクリックしてもよいし、キーボードからコマンドを叩いてもよい。多くの場合熟練者は後者の方がスピーデイーに仕事ができる。

・「良い道具」は「シンプル」で「美しい」

「シンプル・イズ・ベスト」も WINE の基幹をなすコンセプトのひとつである。12年前独自に電子カルテ開発を開始した頃、最も苦労したのは何ひとつ参考にするもののないまま、電子カルテのコンセプトそのものから創り出さねばならないことであった。その後、10年余にわたる試行錯誤の中で色々な機能が加わって行ったが、現在は「いかに機能を削りシンプルにするか」に腐心している。沢山の機能もよく考えれば、オーバーラップする部分が必ずある。これらを整理統合してゆくことにより当初考えていたよりずっとシンプルなシステムで、多くの仕事をこなせるようになる。こうなった時、本当に実力を発揮できるシステムとなる。満艦飾のようにツール・ボタンで飾り立てても、見苦しく混迷を招きこそすれ、決して使いやすく愛着のある道具とはなりえない。かりに豊富な機能を持つとしても、普段使わないものは極力視野から隠すべきである。

・ソフトウエアは人間を援助するためのもの

人間の便利のために機械を使うのであるから、本来「機械を人間の都合に合わせる」べきであるのに、「人間を機械の都合に合わせなければならない」例を散見する(特にオフコンなどのソフトに多い)。これでは本末転倒で、何のためにコンピュータを使っているのかわからなくなる。
「電子カルテ」は、忙しい現場で使うのであるから、機械の都合に合わせねばならないのではストレスばかりが増え、何もよいことはない。
一方で、医療という世界では画一性を嫌う人間が多く、その要求も人様々に異なってくる。一般的に考えても「ある人間に快適なシステムが別の人間にも快適とは限らない」。
このようなことから「一人一人の要望に合うよう、極めて自由にカスタマイズできること」が必須である(欧米のソフトウエアには、そのようなコンセプトでデザインされているものが多い。 UNIX のソフトウエアなどはその典型である)。

・医師が十人いれば要求するカルテ様式は十種類以上ある

これを満たすには、データは共通でもカルテの表現様式や扱い方はユーザごとの要求に自由に応えられる設計が必要である。
とは言え、これに対応することはなかなか大変で、WINEも現状で実現されているのは、項目を自由に設定できたり、項目ごとの処理機能を選べる位に過ぎない。
しかし第三世代 WINE では、各記入欄の配置・大きさ・種類なども自由で、バックグラウンドにイメージ・データを貼りつけられるようになる。そうなれば今まで使ってきた紙のカルテとまったく同じ外見に設定でき、慣れるに従ってより効率的な形式へ移行できる。

・規定されたフォーマットと自由なフォーマット

記入項目や文字数が限定されているのでは「やはり紙のカルテの方が便利」ということになる。「主訴」「所見」などは、ワープロのようにフリーテキストで入力できた方が便利である。
一方、統計や情報集積などの目的には、きっちり決めたフォーマットで入力させる必要があろう。しかし、フリーテキストを自動解析して必要なものを抽出する方法でも結構有用なデータを収集できる場合もあるので、必ずしもこだわる必要はない。
入力フォーマットを作成する場合は、本当にそのデータが後日有効に使えるものであるかどうか、よく吟味する必要がある。でないと、データ入力をしたという自己満足だけで、役に立たないデッドストックをただ増やすだけということになる。不要なデータの存在は、保存・解析や経済効率などの面で、むしろ有用なデータを殺すことにもなる。

・コンピュータ・リテラシー

フリーテキストの入力には、ある程度キーボードを扱える必要があるが、メニュー・辞書登録・単語補完機能などを利用すれば、たどたどしい入力でも実用的なシステムは実現できる。
しかしいずれにせよ、キーボード操作技術はこれからリテラシー(読み書きソロバン)として、当然身につけるべき教養である(独学でも一週間ほど、じっと我慢して使えばある程度使えるようになるものであって、自動車やピアノの教習、まして医療技術の習得に比べずっと簡単なのであるから)。
米国の電子カルテには文字形式のみのものが多いというのも、日本人に比べキーボードへの抵抗がずっと少ないというのが大きな理由であろう(第一世代 WINE は Emacs というテキスト・エデイターの中に Lisp で構築したキーボード操作だけのものであったが、現在の第二世代 WINE に比べても十分実用的なもので4年間満足して使ってきた)。

・学習機能を持ったメニュー

とはいえ、実際には忙しい診療中にワープロなど打っているわけにはいかない。極力自動処理させ、人間の負担を最小限にする必要がある。
そこで定型入力はメニューのワンタッチで済ませる。入力欄のタイトル・ボタンを押すと、目線の位置にメニューが開く。メニューへ視線を移動しないですむのは、初心者の戸惑いをなくすためと疲労防止のためである。
メニューは学習機能を持っており、使用頻度の高い順に表示してくれる。このようにユーザが何を欲しがっているかを推測し、必要なものを必要な順番で表示することも重要である(ただし、いつも同じ項目が同じ順番で現れないと戸惑うユーザもあるので、学習機能をオフにできることも必要。あるユーザにとって便利な機能が、別のユーザにとっては「小さな親切、余計なお世話」になることもある)。
人間のやりたいことは、あらかじめ決められた順序で発生するとは限らない。思いつきでいつどこでも他のことがすぐ出来なければならない。書き間違いや訂正も必ずあるものである。
決まったフォーマットに一定の順序で入力しなければならず、途中で誤りに気づいてもとりあえず最後まで入力しなければ元に戻って修正できないソフトは最悪といえよう。

Fig.2 メニュー

・ワンタッチで定型文書作成

診療中の診断書や紹介状の作成は、診療という流れの中に異質の作業が割り込むということで、結構面倒な作業に感ずる場合が多い。しかし WINE では簡単である。定型文書の種類を選ぶだけのワンタッチでそれらが作成される。あらかじめ用意した定型文書に患者氏名や年齢・住所・診断名あるいは検査結果などを流し込んで、自動作成してくれる。作成された文書は、テキストエデイター機能を持つパネルに表示されるので、必要なら少し手直しをしてプリンターに打ち出し署名するだけでよい。
診療費自動計算機能とともに、一旦使ったらやめられない機能のひとつである。

Fig.3 定型文書

・診療パターンをまるごと登録

各項目のタイトル・ボタンを押したままにすると「削除」「登録」というプルダウン・メニューが現われ、ワンタッチで「記入欄の内容削除」「メニュー内容の登録」などができる。
自分の診療パターンをまるごと登録することもできる。例えば主訴のメニューに「妊婦健診」というタイトルと、それに関して自分がいつも行う診察内容一式を丁度約束処方のように登録しておく。主訴欄のメニューで「妊婦健診」という項目を選んだだけで、それにまつわる診療内容一式が自動入力される。あとは必要な部分を訂正するだけで済むので、極めて能率がよい。
このように省力化が進むと、患者の訴えを長文でキーボード入力する場合など、むしろ「充実感」さえ感ずるようになるのは予想外の効果であった。このような現象が現れた時、電子カルテは実用段階に入ったと言って良いであろう。

・限られたデイスプレイ空間を有効に

WINE は、記入行数の増減に連動して記入欄の上下幅が自動的に伸縮するのが特徴である。これは限られた画面をいかに有効に使うかということで、独自に工夫した方法である。
人間側から見れば記入欄のサイズに制限はないが、システム側から見れば常に最小限の資源しか使わないというのが WINE のデザイン・コンセプトのひとつでもある。
「情報利用は、いかに不要な情報を捨てるかにある」と同様、画面上「不用なものはなるべく視界から遠ざけておくこと」も、人間工学的に大切なことである。

・ページをパラパラめくるように閲覧

仕事をコンピュータ化すると、ここがうまくできていないと大変イライラさせられる。限られた狭い画面の中でこれをどう実現するかについては、かなり思考錯誤を重ねた。
標準的な方法はメール・リーダーによくある形式で、過去の受診日と簡単なコメントをリスト表示しておき、選択したページがその下に開く方法である。
ただし、紙のカルテをパラパラめくる手軽さに勝るためには、さらに幾つかの検索方法を組み合わせるべきであるが、ここでは省略する。

・いかにして見落としを無くすか

電子カルテで実現したいことの一つに「いかにして見落としを無くすか」があった。いろいろと思考錯誤した結果、「PostIt」のような付箋をつけることにした。付箋パネルを開き、「ペニシリンにアレルギーあり」とか「某先生より紹介」などと書いておく。カルテ以外のウインドーがアクテイブな時、付箋は消える。必要な時だけ現われるので注目を引き、見落とす可能性が大変少なくなった。

・作画ツール

カルテに身体各部位のゴム印を押して略図を書く、ということはよくある。「スケッチ・パッド」で、このような作画ができる。よく使うゴム印のパターンを登録しておき、必要なものを呼び出して簡単な略図や文字を書きそえカルテへ貼りつけることができる。
胃カメラやエコーの写真などを呼び出し、これに説明文字や線を書き加えカルテに貼ったりもできる。
あるいは、患者説明用の図譜などを表示しておき、カラーのペン・ツールで書き込みをしながら説明することもできる。このようなビジュアルなツールは大変説得力があるし、そのままプリンターに出力して渡すことができる。


Fig.4 SketchPad

・分散オブジェクトの活用

産婦人科では、最終月経から分娩予定日を計算することがよくある。電子カルテに記入した最終月経をマウスで選択し、あるキーを押すと妊娠週数・分娩予定日がその文章へ挿入される。
これは「妊娠暦」という別のアプリケーションのサービス機能によるものである。このようなアプリケーション相互の連係動作は、OPENSTEP に実装された CORBA 準拠の分散オブジェクト機能により実現されている。
もう一つの方法として、「バンドル」という機能を使えば別に開発したツールを WINE にプラグ・インできるので、ユーザごとに好みのオプションを組み込んで使うことができる。
このように第三世代 WINE では、電子カルテ本体には汎用性のある基本的機能しか実装しない。診療科ごと特定の機能は、ユーザが選んだオプショナルなツールとして、プラグ・インできるよう設計されている。これにより、ひとつの診療科に依存しないバラエテイーに富んだ自由な使い勝手を提供できる。
また電子カルテのいろいろな機能を分散して開発したり、ネットワーク上のシェアウエアなどで提供される優れたツールをプラグ・インできるメリットは大変大きい。