臨床医からみた電子カルテ−病歴の入力方式−
   第2部  病歴記載中の医師の思考と紙のカルテ

川合正和、笠島直子、川合厚子*
南陽市立総合病院耳鼻咽喉科、*公徳会佐藤病院内科

1.はじめに 
 病歴等の情報の電子化について手書きの代わりにワープロで打ちさえすれば容易に電子化できるのではないかとの意見を目にする。この様な意見の背景は医師の業務に対する無理解があるように思えてならない。医師がワープロで病歴を書くことを嫌う理由は診療がワープロを打ちながらやれる仕事はないという事実に由来しており、断じてキーボードアレルギーのためなどではない。臨床医の立場から見た診療中の医師の思考と業務、紙のカルテの利便性について解説する。

2.手書きの紙のカルテとカルテの読み方
 カルテはまず患者と現場医療スタッフのためのものであり、次に会計業務のためのものである。後者の電子化の有効性は既にオーダリングシステム等の普及により立証済みであり、本論においては前者の側面についてのみ解説する。

 患者のための良いカルテとは患者が最も適切な治療が受けられるように、情報を整理し、判断を示し、現場スタッフに明確な指示を与えるカルテのことである。患者に分かるように書くことをもって患者のためのカルテとするのは浅薄であり、患者に読めるようにカルテが書かれたとしても価値の低いカルテは多数存在する。

 当科のカルテ(図1)は基本的に標準化された略号をもとに記載されており、略号表(表1)を参照することにより内容が容易に判読可能である。略号表は基本的に医師特に耳鼻科医であれば容易に理解できる記号・英語・ドイツ語等の省略の組み合わせでつくられており、臨時の医師でも比較的容易にカルテの判読が可能である。略号使用の目的はカルテ記載時間の短縮である。カルテ記載に要する時間を測定した結果、略号を使った場合、使わない場合の七割の時間で記載可能であることが当科の実験により証明されている。すなわち短縮し得た3割の時間、1分であれば18秒相当が患者とのコミュニケーションのために使うことが可能となる。略号表で注目すべきは、「1週」を意味する「1w」の略号に省略記号を意味する「.」が省略されていること、「後」という漢字を書くために時間をとられることを嫌ってひらがなで「ご」と記載していることである。臨床医にとってコンマ1秒といえど診察中の時間は患者のための時間であり、記載のための記載に費やせる時間はない。医師にとって図1の手書きのカルテは表2のような清書したカルテと同等に捉えられる。

 図1.紙に手書きされたカルテ(通常の紙に書かれたカルテの一例、画像省略)

表1.南陽耳鼻科略号表(一部のみ)

表2. 医者の目を通してみた手書きカルテ

1w〜=一週間前から
throat p(+)=のどの痛み
coldご=カゼをひいた後
eatingダメ=摂食不可
水ok,p(+)=飲水可、痛みあり

現病歴:一週間前風邪ひいてからのどが痛い
摂食不可、飲水可だが嚥下時痛あり
昨日午後8時頃より右耳痛あり
既往歴:ピリン系の薬剤で薬疹の既往あり
*ピリン禁* 

3.カルテ記載中の医師の思考
 診療を会議にたとえれば医師は司会者であり発言者であり書記である。書記の仕事に偏って医師の業務を捉えることは明らかな誤りである。カルテ記載中、医師の思考はめまぐるしく展開される。表3は医師の思考の一例であるが、「のどが痛い」と聞けば医師の頭の中にはその瞬間に重症度順・頻度順をひっくるめた鑑別診断が浮かび、同時に患者の所見を目で耳で鼻で五感を通して検索していく。表1は耳鼻科では比較的ありふれた例でありベテラン医師がこの程度の病態把握するのに要する時間は2秒程度、長くても5秒はかからない。ここまで診断が付いてしまえばそこから先の作業は診断を確認するための行程と変化する。

 表4はさらに診察を続けた場合の思考過程を示すが、重要な事実は医師の医学的判断なしでは診療は一瞬たりとも進まないという事実である。優秀な耳鼻科医であれば耳が痛いと聞いた瞬間に喉頭癌・上咽頭癌の放散痛の可能性を想起し、その否定のために喉頭・上咽頭のファイバースコープによる検査を考慮するのが常識である。思いつかなければ数年に一回は癌の早期発見を見逃す結果となる。また医療は医学知識だけで行うものではなく空きベッドの状況等多彩な要素を考慮して行わなくてはいけないものであり、ベッドがないのに患者に入院を勧めればつじつま合わせのために多大な苦労を要することとなる。患者ごとに聞き出すべき情報、話すべき情報は雑多であり、これらを次々と処理していくことは容易ではなく、医師の能力を阻害しないような診察環境が提供されなければ無事故で医療を続けることは困難と考えられる。

表3.「のどが痛い」と聞いたときの医者の思考例

  鑑別診断
*急性扁桃炎, カゼ,癌関連,頸部リンパ節炎,その他  
 五感によるチェック  
  声の性状 声がくぐもっている、しゃべりづらそう
   姿勢   アゴが引かれていて首に力が入っている
   表情   なんか耐えているような顔、
   その他  瞬時に多数の情報をチェック
 →病態への推論
   扁桃炎重症例で扁桃腫大あり周囲への炎症波及の
   ため頸部の筋緊張が亢進?喉頭癌ではなさそう
→この段階で問診を止めて視診に移ることも多い  

 表4.カルテ記載中の医師の思考例(かっこ内に書いてあるのは医師の思考)

  一週間前カゼをひいてからのどが痛い
    (癌の訴えパターンじゃないな、やっぱり炎症かな)
  摂食不可、飲水可だが嚥下時痛あり
    (外来で点滴するか、入院させるか、空きベッドは?)
  昨日午後8時頃より右耳痛あり
    (扁桃炎の放散痛?喉頭癌の放散痛の可能性は?)
    (耳以外に喉頭・上咽頭も内視鏡でチェックしよう)

4.情報中枢としての医師の業務(図2)
医師の業務は医学的思考に基づく医師・患者間の情報交換であり、判断・指示であり、カルテ記載である(図2)。この際重要なことは、医師をコンピューターとして捉えた場合、会話によるテキスト情報として情報以外に膨大な量のテキスト以外の情報、声質、話しぶり、表情、顔色、付き添いの人間の表情等の膨大な量の情報を処理していることである。これらの情報に基づき医師は患者に合わせて話す内容、話しぶり、表情等をコントロールし円滑な診療を勧めると共に、テキスト情報のごく一部をカルテに記載して行く。医師の柔和な表情、医学的知識等の披瀝等は信頼関係をつくる上で重要な要素であり、これらもまた医師の業務の一部である。カルテに記載される情報は医師・患者間を行き交う情報量のごくごく一部であり、この部分だけに注目して医療情報論を展開すれば医療の現場から大きく食い違うことは必至である。

 これらのテキスト以外の情報処理能力は経験年数・個人の資質等により大きく変わるが、ベテラン医師ともなればなにがしかのファジーな情報処理能力を持つものと考えられる。個人的な経験談で恐縮であるが、下記の話は私の実話である。

 18才女性、第一声「あのー耳が、、、(恥ずかしそうに)」、医師「(ピンと来て)耳に平手打ち食らった」、女性「どうして分かったんですか?」、医師「えーっ、当たったの!」。後で推論すると、18才で耳の病気として考えられるのは急性中耳炎、突発性難聴、外耳道炎、外傷性鼓膜穿孔、その他である。急性中耳炎、突発性難聴であれば何故自分が病気になったか腑に落ちないという顔をして来るし、耳のいじりすぎによる外耳道炎であればいじりすぎたという反省でシュンとした顔をしてくるし、恥ずかしそうに来るのは痴話喧嘩による外傷ではないかとの推理による。また平手打ちで外傷性鼓膜穿孔を数例見ていることによる患者の印象がパターンとして記憶されており類推されたとも考えられる。

 科学的なカルテ記載法としてもてはやされながらSOAP等の記載法が全面的に普及しない根底には、人間の情報処理能力が高すぎて記載が追いつかないという現実があるものと考えられる。

5.紙のカルテの利便性
 紙に手書きする際の利点は、マンマシンインターフェースが不要であり紙の上に自分の望む情報がそのまま書かれることである。速い上に書式設定、特殊記号等の使用が自由であり、医師の思考を殆ど妨げず、医者に余裕がある分医者らしく出来る(医学的思考、コミュニケーション技術、臨床的勘が働く)こと等、利点は枚挙にいとまがない。

 これに対し手書きの欠点は臨床家に取ってはさほど問題とはならない。医者以外には解読不能なことが挙げられるが、当科に関していえば略号表等を使うことにより解読が可能である。論外の悪筆がいて読めないとの評も聞くが、電子化したところで論外の機械音痴が出現して相殺するわけだから電子化した方がいいとはならない(論外の悪筆と論外の機械音痴どっちが多いか)。論外の悪筆でも書いてあるだけまだましである。論外の機械音痴は最初から書かないのだからそれこそ論外である。また手書きではリンクできないとの話を聞くが、当科で一週間外来患者450名について調べた結果、他科とコンサルトした患者は13名(3%)に過ぎず、リンクのために電子化する必要があるとは考えがたかった。

6.病歴電子化による医師の思考への影響(図2)
タブレットからの手書き文字の画像入力、テキスト変換しての入力、テンプレートからの入力、キーボードによる入力についても検討したが現行の医療水準を落とすことなく病歴電子化が可能と考えられる入力方法はなかった。病歴電子化の最大の問題点はコンピューターを操作するために頭を使うと医学的思考に頭が使えなくなるという、コンピューターでいうソフトのコンフリクト(競合)の状態に頭が陥いることである。

 操作の複雑な機械で病歴電子化を行った際の情報中枢としての医師の状態は図3のようなモデルで説明できると考える。入力装置操作用思考と医学的思考はコンフリクトしやすいが、カルテを書かないことには診療が終わらないため入力装置操作用思考を最優先して起動する。この結果、医学的思考に使いうる頭の領域は小さなものになるため、多種の弊害が生まれる。まず扱う情報量を小さくする必要が生じる。医師が管制する入出力はテキスト情報とテキスト以外の情報に分けられるが、テキスト以外の情報はかさばる割には内容がないため、テキスト情報を最優先して診療を行うことが合理的である。結果として患者の表情・気配等を感知する能力が放棄され、同時に患者に対して表情等をコントロールできなくなり無愛想となる。次に情報を要約することが困難となり、要約を放棄し患者の話をそのまま書き取る棒書きが選択され、機械的な質問のみで診療を組み立てるように変化する。また過去の経験等に基づく膨大なデータを参照する余力がなくなり、ベテラン医師の実力を発揮することが不可能となる。また余裕といった情報処理に直結しない分野が最小限となるため、ひらめきといった目の前の情報に直結しない発想は全く浮かばなくなる。これは私が三ヶ月、二十人の患者に対しワープロを用いて外来診療を行った経験より得られた仮説である。恐ろしい事実は医師の能力はこれだけのデメリットにも関わらず、表面を取り繕って診療できたことである。

 本論に疑問があれば是非追試して下さるようお願いしたい。追試の方法は極めて簡単である。ワープロ入力をしながら大事な人と大事な話をしてもらえばいいことである。両方を旨くやれる人間は現時点では稀と考える。

 

7.病歴電子化への方策
 病歴と一口でいってもその内容は初診時と再診時、診断前と診断後、その施設その科のの診療内容によって全く異なる。歯科等の扱う情報が比較的単純な診療科、診療方針を独自に決定しうる個人医院等では病歴電子化が可能であろうし、総合病院においても診断後であれば疾患によっては診断後テンプレート等に沿って説明し治療していくことにより患者への良好なインフォームドコンセントが得られる等様々なメリットがあるものと考える。病歴電子化の目的は手書きカルテをなくすことではなく、患者に役立つ電子化を推し進めることである。現段階で総合病院において全科の全病歴を電子化することは到底不可能であり、現段階での目標は紙に書かれた情報と電子化された情報との併用により今以上の医療を達成できるシステムを組み上げる事である。病歴のうち電子化が有効な部分から地道に電子化を進めていくことが、結局は電子カルテへの近道であると考える。