アメリカ医療ネットワーク調査団報告

松山 幸弘
(株)富士通総研 経済研究所 主席研究員 


1.アメリカ医療ネットワーク調査団の概要

2002年3月14日〜27日の2週間、アメリカ医療ネットワーク調査団26名のコーディネーターとしてアメリカの医療機関におけるIT活用とマネジメントの最新事情を視察した。調査団団長には日本病院会のご協力により瀬戸山先生にご就任頂いた。
 アメリカの医療機関は1980年代に盛んであった水平統合から1990年代には異種医療機関が連携する垂直統合の時代に移ったが、そのプロセスで急成長したのがIHNと略称される広域医療圏統合ネットワークである。今回の訪問先としては統合度評価ランキングがトップクラスにありかつタイプの異なる次の5つを選抜した。

IHNの名称

所在地

UPMC

ペンシルバニア州ピッツバーグ

Sentara Healthcare

バージニア州ノーフォーク

Henry Ford Health System

ミシガン州デトロイト

Trinity Health

ミシガン州ノヴィ

Intermountain Health Care

ユタ州ソルトレイク

(注)IHN=Integrated Healthcare Network

2.IHNの基礎知識
 現地調査により判明したことを説明する前に、IHNの概要を述べると次のとおりである。

1) IHNの数は1995年の291から2001年現在600と急激に増加したが、今後は新たに設立されるものは少なく、統合効果を実現するための仕組み作りに注力すると予想される。600のIHNの組織形態を見ると非営利521、営利79であり、アメリカの医療市場では非営利が圧倒的に強いことが確認できる。1つのIHNが傘下に有する平均病院数は6.2、平均医師数は1527名である。また、入院件数と手術件数から見たIHNの市場シェアは64%であり、アメリカの主要病院のほとんどが何らかの形でIHNに参加していると推定できる。

2) 非営利IHNの組織の基本形は、非営利ホールディングカンパニーの下に財団、医療サービス部門、子会社群、経営管理部門がぶら下がるイメージである。財団は寄付金集めの機関であり、その資産の投資収益が非営利IHNの収支を支える構造になっている。
医療サービス部門には、病院、診療所、リハビリ施設、介護施設、在宅ケア拠点などが含まれる。ここで注意せねばならないのは、IHNが直接雇用している医師は数百名程度と少なく、IHNに参加している医師の大部分は独立系開業医だという点である。子会社の中で最大のものが医療保険会社である。経営管理部門には財務、戦略企画、情報システム、人的資源などがあり営利事業会社と全く同じ仕組みと言える。

3) IHNが非営利であることの意味は、「効率経営で生み出した利益を全て地域に還元」、「地域社会がガバナンスを握る」、「事業が非課税となる見返りに多額の無料医療を提供する」、「利息が非課税となる債券を発行し低金利で資金調達できる」ことにある。

4) 非営利IHNの平均的収益構造は、本業である医療サービス部門と保険部門が収支トントンで国債や社債などに投資した投資勘定の収益により最終損益がプラスという姿である。また、効率経営に成功して医療サービス部門が黒字であるIHNの場合でも、医療サービス部門と保険部門の連結利益率が2〜3%になるように毎年の予算を立てており、それ以上利益率を高めることはしない。これは、非営利IHNの目的が「より安い医療費でより高い質の医療サービスを提供」にあるため、必要な再投資財源を超えて利益が出るようであれば医療費または保険料を引き下げることを選択するからである。

5) IHNのタイプには、1地域密着型(例:インターマウンティン)、複数連合型(例:トリニティ)、医療産業集積型(例:UPMC)の3つがある。

6) プライマリーケアは専門性が低いこともあり診療報酬水準が低い。このため、プライマリーケア医一人あたり年間5〜10万ドルの赤字になっている。しかし、非営利IHNのミッションは地域住民の健康向上であり、プライマリーケア医はそれを達成するための不可欠なインフラである。そこで、専門医が獲得した収益の一部をプライマリー医の財源に充当するが、これに対して専門医から不満が出ることもある。

7) 非営利IHNの医師報酬の決定方法には幾とおりかあるが、医療の専門性に応じて決定する方法を採用しているIHNが多い。



3.調査団報告のトピックス

1) 日本の電子カルテシステムは、臨床システムと財務システムの統合が既にできている。これに対してアメリカは現在取り組み中であり、インターマウンティンは2002年末、トリニティは2006年に統合システムが完成予定である。ちなみに、7つの州に分散立地している50以上の病院の集合体であるトリニティの場合、採用しているアプリケーションがバラバラである。したがって、電子カルテシステムの機能だけを見れば、日本がアメリカより優れている。

2) しかし、電子カルテシステム活用の仕組みはアメリカの方が遥かに上である。IHNにおけるIT投資は目的を絞り込み着実に成果をあげている。

3) 医師一人ひとりのパフォーマンスをベンチマーク評価あるいは同僚医師間で比較評価することで医師の能力向上に努めている。評価基準となるベンチマークデータには全米レベル、州レベル、IHN自身の3種類がある。

4) インターマウンティンは、ABC(=Activity Based Costing活動基準原価計算)活用によりコスト抑制に成功している。具体的には、医療サービスを約7千項目に分類しそのコストが病院毎に自動計算される仕組みを構築、約1割の医療サービス項目が病院全体コストの約9割を占めることを発見した。そこで、この約1割の医療サービスにフォーカスすることで等でライバル病院対比約20%安い医療費を実現した。しかし、無駄な医療行為を排除することに成功しただけでは保険会社からの収入も同様に減らされるためIHN自身の収益力向上には結びつかないことも確認された。

5) 保険会社に逃げているコスト削減効果を取り戻すためには、保険会社をIHNの中に取り込む必要があり、実際多くのIHNは保険子会社を持っている。しかし、アメリカではその地域医療圏における保険子会社のシェアを100%にできない。そこで、他の保険会社と交渉してコスト削減効果の配分ルールを決める必要がある。インターマウンティンの経営者は、「日本でIHNを構築する場合は医療保険制度を地域保険に一本化すべき」とアドバイスしていた。

6) 様々な医療機関の集合体であるIHNは、それ自体が共同購買機能を有している。そして、アメリカには多数のIHNや独立系病院が連合を組んで共同購買会社を設立している。
この共同購買会社にも営利と非営利がある。共同購買会社の本質は契約代行業である。その取引の流れを説明すると、まず会員医療機関が共同購買会社を利用することを約束する、共同購買会社は製薬・医材メーカーと交渉して大量買付けの見返りに割引価格を獲得する、加えて製薬・医材メーカーは共同購買会社に対して2〜10%の手数料を支払うという構図である。共同購買会社の収益源はこの手数料収入だが、非営利の場合は、会員医療機関に対して割引効果に加えてこの手数料収入の約半分を還元しているとのことである。

7) より質量の大きい医療データベースを構築できたIHNに臨床治験などを目的にする民間研究資金が集中する。ちなみに、ヘンリーフォードは医療データベース構築を開始した1986年以降民間研究資金収入が顕著に増加、2001年には約3千万ドルに達した。

8) ピッツバーグ大学の医療事業部門を核にしたIHNであるUPMCは、営利形態で臨床治験サービス会社を設立した。設立の背景には、製薬メーカーが大学に治療を依頼しても遅くて傲慢で満足いくような方法で行われないという批判が高まり、1990年代に製薬メーカーの大学離れが進行、臨床治験市場における大学のシェアが80%から30%に低下したという事情がある。そこでUPMCは、顧客である製薬メーカーに対してサービス内容が
従来のアカデミック色の強い大学病院と異なることを強調するために、臨床治験サービス会社の組織形態を営利にしたのである。そのセールスポイントとしては、臨床治験依頼窓口を一本化したことによるワンストップ・ショッピング、製薬メーカーのニーズ(期限、サンプル数、ベンチマーク)への徹底対応、治験ノウハウを持たないバイオテク企業に対してはコンサルタントサービスといったことがあげられる。

9) 世界最大の海軍基地都市ノーフォークにあるセンタラは、アメリカ唯一のe−ICU(遠隔集中治療室)を設置し大きな成果をあげていた。これは3つの病院のICU患者50名を1名のICU専門医で24時間モニターできる仕組みである。患者のバイタルサイン・トレンドのリアルタイムチェックをコンピューターで自動的に行う中で異常を早期に感知・予測し警報を発信、ICUの患者の死亡率や合併症発生率を大きく引き下げることに成功したとのことである。e−ICU導入の背景には、アメリカ全体のICU専門医必要数3万人に対して6千人しかいないという事情がある。

10) スポーツ医学施設は成長産業であり、世界最大のスポーツ医学施設を有するUPMCには世界中の一流プロスポーツ選手が訪れている。

以上