公開鍵基盤を利用した
広域分散型糖尿病電子カルテ開発事業

中島 直樹1), 坂本 憲広2), 三村 和郎3)
山本隆一4), 田中 直美1), 井口 登与志5), 名和田 新5)

1) 九州大学医学部附属病院医療情報部
   〒812-8582福岡市東区馬出3-1-1
2)  神戸大学医学部附属病院医療情報部
   〒650神戸市中央区楠町7-5-2 
3)  福岡市医師会成人病センター
    〒814-0005福岡市早良区祖原15-7
4)  大阪医科大学附属病院医療情報部
   〒812-8582福岡市東区馬出3-1-1
5) 九州大学大学院医学研究院病態制御内科
   〒812-8582福岡市東区馬出3-1-1

E-mail:nnaoki@info.med.kyushu-u.ac.jp


(要約)

公開鍵基盤を用いた認証システムとHL7version3 RIM準拠によるデータ通信規格の標準化を実現した地域医療ネットワークシステムを用いて、システム実証実験を行った。開発システムは@電子カルテ汎用データベースシステムA患者基本情報管理システムB利用者認証システムC診療情報公証システムD糖尿病電子カルテシステムE糖尿病患者データ移行システムより成る。事業継続性を考慮して統括委員会、倫理委員会を設立、事業事務局を開設した。運用規定の批准後、福岡市内47施設の医療機関にネットワークを構築し、実証実験を平成13年12月から平成14年2月末まで行ったが、接続実験、実診療運用にシステム作動、通信上の問題を認めなかった。協力医療従事者へのアンケート調査では、医療サービスの効率化、質的向上に対する期待が高く、電子カルテの操作性、ネットワーク環境に課題を残した。登録患者アンケートでは多くの患者が本システムを違和感なく受け入れているが、一部に個人診療情報の共有やシステム説明への不安を有していることが判明した。

1. はじめに

インターネット環境を利用した医療情報の共有化と開示化の達成には、高度な認証システムを中心とするセキュリティの強化と、用語・コードやデータ交換形式を含めた標準化が必須である。我々は、財団法人医療情報システム開発センターによる平成13年度「先進的IT技術を活用した地域医療ネットワーク公募事業」で、「公開鍵基盤を利用した広域分散型糖尿病電子カルテ開発事業」を行った1、2。この事業では、公開鍵基盤を用いた高度なセキュリティの確保とHL7version3 RIM準拠による医療情報の標準化を実現した地域医療ネットワークシステムを開発した。開発システムの実証実験を平成13年12月から平成14年2月末まで行ったので、そのシステム開発の成果および実証実験の結果について報告する。



2. 事業組織

2.1. 統括委員会の設立

平成14年4月、事業開始時にシステム開発および実証実験を統括する目的で、九州大学医学部、福岡市医師会および福岡市医師会成人病センターのメンバー15名により設立した。名和田新九州大学医学部附属病院副院長(現院長)を統括委員長、江崎泰明福岡市医師会副会長を副委員長とした。統括委員会の下部組織として開発、診療、実証サブグループを構成し、実際の開発、実証実験にあたった。

2.2. 倫理委員会の設立

本事業の倫理的側面を検討する目的で、統括委員会諮問機関として外部委員を2名を含む計5名の倫理委員会を構成した(委員長:山本隆一大阪医大助教授)。

2.3. 運用規則の規定

統括委員会において糖尿病電子カルテ運用における規則を定めた。

2.4. 事務局の開設

糖尿病電子カルテ開発事業事務局を設立し、以下の事務作業を行った。

(1)医療従事者および患者の登録・取り消し
(2)医療従事者および患者からの問い合わせ対応
(3)電子カルテソフト・バージョンアップなどのお知らせ
(4)アンケート等の配布・回収・集計
(5)マスメディアに対する広報
(6)その他本開発事業に対する窓口業務



3.開発システム環境

3.1. 「電子カルテ汎用データベースシステム」

HL7version3 RIMに準拠したデータベーススキーマを採用した。病名に関しては標準病名マスター、処方に関しては標準医薬品マスター(各MEDIS-DC)を使用した。本システムは、XML文書保管データベースと診療情報データベースから構成され、XML文書保管データベースは受取ったデータを暗号化し、そのまま保存する。診療情報データベースは患者基本情報を除く診療情報をオブジェクトデータベース化して格納する。

3.2. 「患者基本情報管理システム」

本システムは、氏名、住所などの患者基本情報とその患者の診療情報の所在(どの電子カルテ汎用データベースシステムにその患者の診療情報が保管されているか)を管理するシステムであり、患者プライバシを保護すると同時に、診療情報の分散管理を行う。また、あらゆる電子カルテシステム、医事会計システム等から使用される共通モジュールとなりうる。データベーススキーマは、診療情報データベースと同様にHL7version3 RIMに準拠した。

3.3. 「利用者認証システム」

本システムはX.509公開鍵基盤に基づき、利用者に秘密鍵を格納した利用者ICカードを配布して、各電子カルテシステムに附属するICカードリーダを用いて利用者認証、アクセス制御を行う。証明書発行サーバ、権限管理サーバ、LDAPサーバから構成される。

3.4. 「診療情報公証システム」

各電子カルテシステムが作成した診療情報について、ブラインド署名を施す。医療機関やデータセンターとは独立した認証局TTPで管理し、機密性や否認不能性を担保する。

3.5. 「糖尿病電子カルテシステム」

各医療機関に配置され、Virtual Private Network (VPN)を介して、診療情報の入出力を行う。入出力された全ての診療情報は、各医療機関の糖尿病電子カルテシステム内に暗号化(秘密鍵による3DESアルゴリズム)して保存し、同時にデータセンターに送信、保存する。本システムの入力情報は、診療行為の記録のみとし、利用者認証及び電子署名は(3)利用者認証システム、(4)診療情報公証システムの機能による。糖尿病診療における「高頻度使用語彙集」や「高頻度使用シェーマ」を格納し、SOAP記載方式とした糖尿病内科診療録入力画面に加え、糖尿病領域眼科入力画面、糖尿病領域腎臓科入力画面、一般内科入力画面を備え、さらに「糖尿病合併症情報画面」、「生活習慣記載画面」(以上診療録に含む)、「処方箋作成画面」「栄養指導・運動指導処方画面」、「糖尿病診療情報提供書画面」など糖尿病診療に必要な画面を開発した(図1)


図1ハ開発ユーザーインターフェイス(クリックで拡大)

3.6. 「糖尿病患者データ移行システム」

本システムは、既存のCoDiC糖尿病データベース(ノボノルディスクファーマシー)及び糖尿病・内分泌・代謝疾患データベース(九州大学医学部附属病院第三内科)で管理されているデータを本電子カルテシステムに移行する。



4. 実証実験結果

福岡市医師会館内にデータセンターを設置し、以下に記す登録医療機関の間にISDN回線およびPHS回線を用いて、公開鍵基盤上でネットワークを構築した(図2)。このネットワークを用いて本開発システムの実証実験を平成13年12月13日から平成14年2月末までおこなった。


図2ハ構築したネットワーク概略図(クリックで拡大)

4.1. 参加医療機関および登録患者

 参加医療機関総数は47施設、参加医療従事者総数は93名、登録患者総数は181名であった(表1)。

参加医療機関総数    47 施設

一次医療機関 34 施設

二次医療施設 5 施設

大学病院(九州大学) 1 施設

フィットネスクラブ 3 施設

地域保健福祉施設 4 施設
    ・健康作りセンターあいれふ
    ・早良訪問看護ステーション
    ・早良区保健所
    ・福岡市保健福祉局

参加医療従事者総数   93 名

医師   64 名

栄養士   12 名

運動療法士(健康運動指導士)  9 名

薬剤師   5 名

看護師  3 名

登録患者総数    181 名

男性 101 名

女性 80 名

          

すべての登録患者に対して各担当医が実験の趣旨を説明して同意書を取得した。参加医療機関所在地は福岡
市を構成する5区全てに分布していた(図3)。


ハハハハハハハハハハハハ図3ハ福岡市内の協力医療機関分布図(クリックで拡大)
4.2. 通信結果

参加47施設中14施設がISDN回線を利用、33施設がPHS回線を利用した。接続実験や実診療実験において、通信上の大きな問題は発生しなかったが、PHS回線ではパワーアンテナを使用しても診察中に断線することがありリダイヤルが必要となるため、実運用には不向きであると考えられた。

4.3. 運用結果

4.3.1. アクセス数およびデータセンター登録数

実証実験期間中に試用を含め計1332回のICカードによるデータセンターへのログインがあった。期間中の診療録登録583回、栄養指導登録129回、同返答52回、運動指導登録84回、同返答31回、薬剤処方登録61回、同返答23回診療情報提供書登録17回、同返答10回と開発したすべての登録画面への登録、返答登録が認められ、また参照された。

4.3.2. 入力操作性について

九州大学医学部附属病院内科外来の糖尿病患者20名を無作為に選び、各症例における紙カルテ上の最新日の記載内容を本電子カルテ上で再記入してみた。60%(12名)が、糖尿病電子カルテ内の「高頻度使用語彙集」および「基本語彙集」を用いたマウス操作のみで記載可能であり、手入力が必要なかった。本開発電子カルテ画面は、疾患を糖尿病に特化することによって高頻度使用語彙を限定することが可能となり、汎用性のものに比して手入力頻度が減少した。操作面から観た、疾患別に特化した電子カルテインタフェイスの有用性が示された。

4.4. 協力医療従事者および患者のアンケート調査

実証実験終了後に医療従事者と患者にアンケート調査を行った。

4.4.1. 協力医療従事者に対するアンケート

平成14年3月10日までに協力医療機関47施設の内32施設40名から有効回答を得た(図4)


図4ハ実験終了後の医療従事者に対するアンケート結果(クリックで拡大)

4.4.2. 登録患者に対するアンケート

実証実験後に実施したアンケートに対して、平成14年3月10日までに協力患者78名(男性42名、女性35名、不明1名)から有効回答を得た(図5)。


図5ハ実験終了後の登録患者に対するアンケート結果(クリックで拡大)

その他、手書きの意見の中には、セカンドオピニオンが得られる手段として評価する意見が存在した一方、先入観で診断される不安や、病名を他には知られたくないという意見も存在した。



5.考察

今回、保健医療ネットワーク分野では本邦で初めて認証局を含む公開鍵基盤を整備した。
電子政府やe-commerceの基礎技術でもある公開鍵基盤は電子署名法をはじめとする制度的な整備も進み、保健医療福祉分野でも安全技術の中核として期待されている。今回ICカードに秘密鍵を格納することにより、医療従事者は秘密鍵を意識することなく操作上の混乱を認めなかった。本システムでは、医療従事者と患者の両者にICカードを持たせた2枚挿しシステム4を採用、さらにVPN通信を用いることによりセキュリティレベルを高めた(図2)。

セキュリティ面の強化のみならず、本開発システムでは標準化の面においてもメッセージ交換規格としてHL7version3 RIMを実装した5。また、病名マスター、薬剤名マスターにはMEDIS-DCマスターを、臨床検査項目にはLOINCを採用し、高度な標準化を達成した。これら標準化については、今後も医療分野の国際標準化の動向にも注目したい6

実証実験終了後に協力医療従事者および登録患者へのアンケート調査を行った(図4および図5)。

協力医療従事者へのアンケートでは、病院経営の効率化や医療連携に対する診療情報の電子化への高い期待が存在した反面、医療業務の効率化に対しての評価は低かった(図4-1)。今回はオーダーリングシステムや医事会計システムとの接続は行なわなかったために二重に手間がかかったことも一因と思われた。医療サービスの質的向上についての質問では、モニター画面を活用した患者説明や診療支援、医療事故防止などに期待がもたれていた(図4-2)。画面の操作性に関してはレイアウトやテンプレート項目などには今後改善の余地があると考えられた(図4-3)。継続的に導入すると仮定した場合のランニングコストは55%の医療従事者が月あたり1万円以下という低コストを希望しており、運用の効率化が求められているといえる(図4-4)。
なお、本システムの今後の実運用化を含めた発展に必要な要素としては、(1)電子カルテソフトの完成度の向上(75%)(2)通信環境の強化、充実(48%)(2)電子カルテの汎用化(全科でしようできること)(48%)(4)医療ネットワークの拡大(33%)(5)医療情報の公開と共有化意識(28%)(6)ハードウエアの強化(28%)(7)患者の協力(25%)(8)無記入(2.5%)の順(複数回答可)であり、電子カルテ自体の改善とネットワーク網の拡大および強化が重要と認識されていた。

今回登録の協力を依頼した患者は、担当医師が日々の診療の中で協力を要請し易い印象の患者を選んだと考えられる。担当医師から協力の依頼を受けたときの印象は、(1)とてもよい試みだと思った(76%)(2)患者のためになると思った(72%)(3)医療に役立ちそうだと思った(67%)(4)担当医が熱心なので承知した(47%)(5)家族と相談して決めた(12%)(6)よくわからないが承知した(4%)(7)少し不安だった(3%)の順(複数回答可)であった。図5-1と併せて考えると、少数ではあるが不理解のままあるいは不安を持ったまま協力した患者が存在していたことになる。さらに、登録患者には個人医療情報が共有されることは概ね受け入れられていたが、逆に不安を覚えている患者も10%存在していた(図5-2)。

これらのことから、今後このようなシステムを実用化する際には、10%以上存在するであろう医療情報共有に否定的な患者(これは患者の性格や考え方のみならず患者の社会状況、疾患の種類にも依存する)のための、個別に医療情報を非共有化するしくみが技術面でも運用面でも必要である。従って、患者自身による医療情報に関する自己決定・自己管理を支援する体制を整備すること、つまりアドボケイト・システムの構築も考える必要がある7。電子カルテの使用によって診療の悪化を感じるとする回答の存在は認めなかった(図5-3)。しかしながら、無記入例が29%あり、この中に診療の悪化を感じている症例が含まれる可能性は考えられた。患者に対し、電子カルテネットワークに期待する点を質問したところ、(1)どの病院に行っても同じ水準の医療が受けられるようになること(65%)(2)病気に対する説明がきちんと行なわれること(56%)(2)処方・検査が重複しないなど医療サービスの効率化に役立つ(56%)(4)地域での医療の連携が密になること(55%)(5)いろいろな施設をまたいだチーム医療連携がおこなわれること(40%)(6)わざわざ遠くの病院に行かなくても近くの病院や薬局を利用できること(32%)(7)一患者一カルテとなること(27%)(8)医療費の削減に役立つこと(22%)の順(複数回答可)であり、電子カルテネットワークを通じた地域医療全体の質向上や医療連携への期待の他に、病気に対する説明の向上が望まれていた。

以上により、地域医療におけるインターネット環境を利用した実証実験において「公開鍵基盤を利用した広域分散型糖尿病電子カルテ開発事業」で開発したシステムが有効に機能することを確認し、また問題点もある程度抽出し得た。今後は、抽出した問題点を考慮したシステムの改善、他の部門システムとの接続、糖尿病科以外の専門科へのユーザーインタフェイス拡張、EBMなど医療の質向上のためのシステムの発展へ向けて、事業の継続を行う予定である。本開発システムには、Linux、OpenSSL、PostgreSQLなどのフリーのオープンソースを最大限に活用したので、開発成果物はオープンソース化する予定であり、今後の電子カルテ開発の社会共有資源として活用されることを期待している。



引 用 文 献

1. 中島直樹、坂本憲広、三村和郎、田尻祐司、梅田文夫、井口登与志、名和田新: 公開鍵基盤を用いた広域分散型糖尿病電子カルテ開発事業. 医療情報学 21(Suppl.): 350-351, 2001

2. http://www.medis.or.jp/

3. 坂本憲広:公開鍵証明書を用いた国立大学病院保健医療情報利用者認証システムの開発.電子情報通信学会論文誌D-I Vol.J-84-D-I:830-839, 2001.

4. 岸田哲浩:PKI-ICカード認証システムhttp://www.seagaia.org/sg2001/html/kishida/kishida.html

5. Sakamoto N, Masuda G, Yamamoto R: A New Approach for Unification of Healthcare Information
Exchange Protocols Through HL7 RIM. Japanese Journal of Medical Informatics. 21:13-22, 2001.

6. 藤森正大、藤江昭:標準化の現状、電子カルテネットワーク、p49-53、武田裕 監修 四国産業・技術振興センター 編、2001

7. 板井孝壱郎:地域医療情報ネットワークの構築とアドボケイト・システム.医療情報学 21(Suppl.):688-690, 2001